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オバマ第二期政権を迎えて

2013年4月16日

 

賢臣に親しみ小人を遠ざけしは、此れ先漢の興隆せし所以なり。小人に親しみ賢臣を遠ざけしは、此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。   (出師表)

 

アメリカでは大統領選挙でオバマが再選され、閣僚の陣容を一新したが、これについては一抹の危惧を禁じ得ないのである。

第一期のオバマ政権はまさに、「賢臣に親しみ小人を遠ざく」という表現が当たる政権だった。

国家安全保障関係の大統領特別補佐官は、当初はジム・ジョーンズ元統合参謀本部議長だった。統参議長と言えば、陸・海・空・海兵四軍を指揮する責任者であるから、経歴としても人物としても問題はなかった。

その後任のドニロンは、オバマがジョーンズの補佐役として任命した人物であるが、ジョーンズはかねがね、「ドニロンは、軍人の間で信頼されていない。日夜働いている部下に理解が無い」と評していたという。

このトム・ドニロンをオバマは深く信頼し、今でも閣議の終わるごとにドニロンの方を向いて、「それで良いよね。トム」と同意を求めていると言われている。

ジョーンズ解任の経緯は良く分らないが、解任の前に、オバマが今でも「ブラザー」と呼んでいるという、オバマの親友である部下のリッパートと喧嘩している。そしてリッパートは、新聞記者にホワイト・ハウスの内部の情報を漏らしたということで、ジョーンズに解任された。

その後オバマは、リッパートを国防総省の東アジア・太平洋担当の次官補に指名した。上院の共和党はその指名に反対して、ジョーンズとの喧嘩の実情の公表を要求した。こうしてリッパートの就任は半年間店晒し(たなざらし)にされたが、実情は公表されないまま、民主共和の多角的な取引の一部として、その日本にとって重要なポストに就任して今日に至っている。

 

国防長官のゲーツこそ賢臣だった。CIAの出身であるが、ブッシュ政権で国防長官を務め、各種メディアから最高の指導者の評価を得て、たった一人オバマ政権に残った。

ユーモアには富むが発言は簡潔を極め、多人数の省庁間会議などは出席せず、少人数で具体的な決定が行われる会議にだけ出席した。訪日の際も、会談には出たが宴席はすべて謝絶した。

ゲーツの後任の国防長官のポストには、現在ヘイゲルが指名されているが、そのハト派的前歴のために上院の審議は難航している。

 

ヒラリー・クリントンほど、在任中の功績について高い評価を得ている国務長官は近来稀である。大統領候補を争ったオバマの国務長官に任命されながら、オバマ政権の最初の一年間は、オバマが、プラハで核廃絶、カイロでアラブとの友好など、保守派にとっては歯の浮くような演説をしている最中、固く沈黙を守っていた。

しかし、米中間に緊張の走った二〇一〇年初頭以来、アメリカのアジア回帰政策を掲げて、それを実行し、遂にアジア・ピヴォット(アジアに軸足を置く戦略)、あるいはリバランシング(再均衡化)をアメリカの国家戦略の中枢に据えることにまで成功した。

 

現在の日本の最大の関心は、クリントンが唱導したアジア回帰戦略が継続されるかどうかである。

後任のケリーは、上院の指名審議の間、中国の脅威やリバランシングの問題には、質問があってもそれに答えず、「その問題は後でゆっくり話そうではないか」とはぐらかしている。

現在のチームが小人であるとは言ってない。アメリカの複雑な政治の中を生き抜いて来たのだから、それなりの人間的魅力も才能もある人々なのであろう。そういう人々と協力し、信頼関係を築いて行くのが外交の仕事である。

 

ここで挫折してしまうのは、アメリカ政治を知らない人である。

よく「アメリカはあてになるだろうか?」と言う人がいるが、そもそもアメリカなるものはない。世論があり、メディアがあり、議会があり、行政府があり、ホワイトハウスがあり、その中でもそれぞれ違う意見の人々が居て、その中で自ずから政策が生まれ、また、その政策も何時変わるか分らない。

それを常時注視し、的確に判断し、場合によっては積極的に言論工作をして、政策形成の一部に貢献するのが、対米外交である。

まして、中国の軍事力強大化の現状においては、アメリカのアジア回帰は正統的な政策であり、これの支持者を求めようと日本が努力するのもまた、正統的な外交である。

(平成二十五年二月九日 記)   郷學より

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