by on 2008年7月 1日
昭和天皇崩御と今上天皇ご即位の頃私は幾つかの論文を書いて発表した。その後早くも二十年が発ったと思うと、光陰の迅速さには、改めて感慨を深くする。
その当時私が特に主張したのは二点である。皇室を軽々に政治利用すること及び「開かれた皇室論」に対する反対である。
私の議論は私のファンダメンタリスト的皇室論の上に立っている。それは一言で言えば、日本の天皇制は百年に一度使えば良いということである。
近代になって天皇制が政治制度として真にその役割を果たしたこと二度ある。
明治維新の時は、大政奉還と同時に王政復古の大号令が出された。それがなければ日本は諸大名を二分する内戦となり、最悪の場合、インドの藩王の間の争いに付け入った列強の収奪のような事態を招いた恐れさえあった。
終戦の時も陛下のご詔勅がなければ、軍国主義に徹した強力な将校団を持ち、三百万の大兵を擁した日本軍がそのまま大人しく引き下がる情勢ではなかった。
つまり、幕藩体制とか軍国主義体制とか、既存の体制の枠内では最早事態を収拾できなくなった難局において天皇制がその効果を発揮し、国民を惨禍から救ったのである。
この、天皇制という他国に類例のない貴重な歴史的政治的財産を保護するためには、天皇制は、国家国民の運命がかかるような時以外は、軽々しく使ってはいけない。天皇制は、如何なるキズも受けず、代々無事平和裡に温存されて行けば良いのである。
特定の天皇に何ら特記すべき事績が無かったということは、日本国民が平和と安寧の中に過ごした証左である。毀誉褒貶が伴うようなことは総理大臣がすれば良い。失敗した場合総理が責任が責任を取れば良い。責任内閣制はそのためにあるのである。
その意味で私は陛下のご訪中には反対だった。天安門の後で世界から孤立した中国が突破口を見出そうとしたのが天皇ご訪中である。もしその最中にチベットで弾圧も起こって(今と同じぐらい危険な状況だった)、国際的非難の的になったら、行って良いのか悪いのか立ち往生してしまう。そんな危険に皇室を曝してはいけない、と思ったのである。
結果は、戒厳令に近い厳戒態勢の中でご訪中は無事終わった。しかし、六連弾倉に一発だけ弾をこめたロシアン・ルーレットでも八割以上は安全である。結果として安全だったとしても、皇室をロシアン・ルーレットの危険に曝した罪は許されるべきではない。
ちなみに、噂されている皇太子殿下の五輪開会式御出席にも反対である。スポーツに政治を持ち込むべきではないという議論には十分根拠はあると思う。しかし、反対論は現に存在する。そんな是非の議論のあることから遠い距離を置くことが、皇室というかけがえのない日本国民の財産を、いささかのキズもつけず後世に遺すために望ましいのである。
今上天皇ご即位当時喧しいかった「開かれた皇室論」にも、私は反対の論説を書いた。
皇室の内情を公開すれば良い面も悪い面も外部に曝される。
世の中に完全な人間というものも完全な家族というものも存在しない。皇室にその例外を求めることこそ皇室の神格化を求めることである。
どんな家族でも他人に知られたくないことはある。まして、皇室の場合は普通の家族よりもニュース・バリューがあるのだから、一般の人よりもプライヴァシーを厳しく守ってバランスがとれる。「開かれた皇室」などと言って、皇室の尊厳を守ることが閑却されてしまうと、将来、何十年、何世代あとのことかは分からないが、天皇制にキズをつける意図のある人々が付け入るチャンスがあるかもしれないと思ったのである。
その後二十年経った。
昭和天皇のご治世という、摂政時代も含めて、激動の二十世紀のほとんどをカヴァーした偉大な時代の後、どんな時代が到来するのかと期待と不安の中で息を殺していた時期ももう遠い過去となった。
現在もう、私はそう心配していない。
たしかに、ご即位直後皇后陛下のご不例もあり、最近は皇太子妃殿下の御こともある。そんな場合には、ご病弱のため公式行事ご出席のお願いはご遠慮申し上げているといえばそれで済むことを、いちいち騒ぎ過ぎているように思う。
しかし、それくらいのことでは国民の皇室に対する敬愛の情は少しも失われていないようである。やはり、皇室はそれだけ深く国民の間に根付いているのであろう。
今後とも、皇室のプライヴァシーは尊重するように、天皇の政治利用は慎むように、それさえ心がけて行けば安心して見ていられるように思う。
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