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世界における日本人

2013年6月4日


 日本人とは一体何者なのだろうか? 

それが最近改めて問われたのは、東日本大震災以来である。


 在日米軍は、大震災と津波の報に接して、時を措かずに「ともだち作戦」を実行した。現地の交通が途絶しているなかで、沖合に空 母を浮かべて、ヘリや上陸用舟艇等の機動力をフルに使って救援活動に従事した。


 ところが、行ってみると、全てが驚嘆することばかりだったという。どこに行っても、住民から礼儀正しい感謝の念を以て迎えられ る。救援物資を提供すると、この場所はまだ大丈夫だから、他にもっと困っている地域があるなら持って行って欲しいと言われる。 混乱に乗じたいかなる犯罪行為も暴力にも遭遇しない。すべての活動において、ピストル一梃を携帯する必要もなかった。アメリカで もカトリーヌ台風に襲われたニュー・オーリンズではこうは行かなかった、と言うのである。  


 そして、感想を漏らしたという。「文明国、シヴィライズド・ネイションとはこういうものか!」と。 


 こうした日本人の特質は、大震災の前から指摘はされていた。日本が財政赤字と少子高齢化社会を抱え、平成に入って以来、長い経 済的停滞に沈み、中国に追い越されても、なすすべもなく、政治では、鳩山、菅と、おそらくは日本憲政史上最低の内閣が続き、もう 日本はおしまいだと言われた時期があった。  


 そうした中でも、アメリカの日本専門家たちは、―もちろんそれが彼らの役割であるのであるがー日本を弁護する論陣を張っていた。


 こうした日本への期待が最低の時期にマイケル・オースリンは言っている。 「これだけの社会的変動にもかかわらず、今でも、日本は一体性のある、犯罪の少ない、安定した社会である。殺人率は10万人につい て0.5人という驚くべき低さであり、しかもその過半数は親類、知己の間である。(強盗殺人はほとんど無いの意)教育水準も高いま まである。国民は政治経済の停滞に不満ではあるが、ロシア人のように飲んだくれているわけでもなく、中国人のように暴動に訴えて いるわけでもない。・・・」 その前から良く言われていることは、東京は、世界でただ一つ、夜中に女性が一人で歩いても安全な都市であるということであり、お 釣り銭を確かめずにそのままポケットに入れる唯一の国民だということである。お互いを完全に信頼し合って生きているのである。 それがどこから来るのか、それが国家の将来にとってどういう意味があるのか、長い間、漠然と、その意味を探ろうと思っていた。 


 今年私は長谷川三千子女史と『日本の民主主義に将来はあるか』と言う対談本を出した。そして、古代ギリシャにおける民主主義の発 生とそれが辿った歴史、そして、ノルマン人の支配の下のアングロサクソン社会において生まれた民主主義とその近代の発展、そして、それのフランス、アメリカへの波及の経緯を論じているうちに、一国の政治と言うものは、その国の地理的歴史的環境、その民族の伝統を越えられないものであることがわかってきた。


 それならば、こういう日本特有の国民性の淵源はどこに求めたらよいのであろうか。そしてそれが日本の政治の将来にどういう影響を もたらすのだろうか。こうした、疑問が浮かんできた折も折、古事記の一四〇〇周年記念の年となり、日本歴史ブームも起こっている。


 そこで、日本民族の遠い過去の歴史に遡って日本人の国民性の淵源を探りたいという気持ちになった。 まず縄文時代に遡って、小林達雄先生の教えを乞うているうちに、縄文時代には飢饉が無かったということを教わった。日本の縄文時 代の文明の歴史は従来考えられていたものより古く、五千年ぐらい前にはすでに定住村落があったようであるが、大陸の古代文明と違 う所は、それが農耕社会でなく狩猟採取社会であり、また、外敵から身を護る城市の必要が無かったということである。


 たしかに、飢饉と言うものは、特定の作物特に米、麦の生産に適さない不順な気候が一年以上続いた場合に起こる。 東京湾付近で貝を採取し、森で栗やドングリを拾って、それに適した人口を維持してきた社会が、急に食糧不足に陥るということはあ り得ないのであろう。 また、氷河時代が終わって、一万年ぐらい前に、日本にわたって来た縄文人にとって、日本列島は未開の新天地であったろう。旧石器 時代の遺物はあるようであるが、人口比から言ってそんなものは問題外である。 とすれば、十八、九世紀におけるアメリカの西部開拓と同じで、移住者にとって生活範囲を広げるチャンスは無限にあった。


 また、備えるべき外敵も無かった。 


 かつて石平氏と日本の歴史を論じた時、彼は感嘆していた。外敵による大殺戮もなく、大飢饉も無い、そんな幸せな歴史を持つ国が あるだろうか、と。 もちろん日本が米作時代に入ってからは時折の飢饉はあった。また、戦国時代には信長による一向宗信徒虐殺などもあった。しかし、 それは中国民族が史書に詳しく書いて残しているような大殺戮、大飢餓の歴史に較べれば、日本国民は想像できないぐらい恵まれた環 境の中で育って来た民族だというのである。  


 日本人の甘さはそこからも来ている。敗戦のとき、関東軍は「居留民の保護に万全を期せられたい」という降伏条件の下に、武器を ソ連軍に引き渡した。しかし、いったん武力を失ったあとの日本人に対する暴虐、凌辱は誰もが知っている通りである。ソ連、フィン ランド戦争の末期、フィンランドの救国の英雄マンネルハイム将軍は、「国軍はまだ健在である。国軍を失えば、停戦も無い」と判断 して粛々と降伏して、国民の安全を護った。関東軍も在留邦人を全部日本に送り返してから武装解除すれば良かったのである。日本人 の歴史的なナイーヴさが、満州の悲劇を招いたのである。  


 日本人は相手の善意を信頼してしまう。一言で言えばおっとりしているのである。それは日本の恵まれた歴史的環境が生んだもので ある。 私は同じような例をタイで見た。バンコック周辺は今や穀倉地帯であるが、人間が定住する十四,五世紀までは無人の沼沢地帯だっ た。史上常に新田開発途上であり、食糧はありあまり、タイには「飢餓」に相当する言葉が無い、という。 そう言えば日本を発してアジア大陸を、朝鮮半島、満州、華北、華南、ベトナムと回ってタイに至るまで、レストランでサーヴィスの 女性が警戒心なく笑顔で迎えて呉れるのは、日本とタイだけである。  


 奈良朝の繁栄も、関東平野の開発が進んでいた最中であった。日本で初めて、銅が採れた、金が採れたという時代である。 国が滅ぼされた高句麗、百済の人はもとより、統一新羅の繁栄を誇った新羅からも移民が関東に入居している。大英帝国から、アメリ カに移住する人が居たと同じである。 縄文時代から弥生時代を経て、奈良時代まで、経済のパイが増大し続けたという恵まれた環境が、いまに至る日本人の余裕のある態度 を産んだのであろう。


 もう一つ私がかねて心にかかっていることがある。 韓国に在勤した時私は兪鎮午という哲人を毎月のように訪問して、韓国政治について教えを乞うた。兪鎮午氏は、まだ李朝の頃という から七、八歳のころであろう、その時習字をした白楽天の琵琶行の詩があまりに見事なので皇帝に献上されたという伝説的な大秀才で ある。日本時代,京城帝国大学が創設されたが、それに入学を許された最初の朝鮮人であり、卒業の時は一番だったという。李承晩に 対抗して大統領選挙に出馬した時に脳梗塞を患い、それ以降は引退していられた。 その兪鎮午氏が言っていた。日本時代日本人は朝鮮人は愛国心が無いと言って蔑視した。朝鮮人にも愛国心はある。ただ、日本人の愛 国心の特色はそれが政府と一体になっているところだ。蒙古の朝鮮半島侵略の際は王室は江華島に逃避して安寧を貪り、人民は何十年 も蒙古の劫略に曝された。それで国民が政府を信用するわけがないではないか、と。 朝鮮人は政府の言うことを聞くと必ず騙されると思っていた。現に、東学党の乱の始まりは、政府が治水のためと言って農民を動員し てダムを作らせた上で、水の使用料として重税を課したのを怒った農民が、ダムを破壊したのが発端である。


 江華島に避難した高麗高宗の時期は、日本では、まさに後世まで武家政治の手本と仰がれた北条泰時の治世である。  


 日本には仁徳天皇以来の善政の伝統がある。単なる説話とも言えようが、記紀には武烈天皇の虐政の記録もあるのだから、あながち 嘘とも言えない。というよりも、善政の語り伝えがあるという事実だけで、国民の政府に対する信頼感が違うのである。また、江戸時 代だけでも、真に善政を行おうという名君、賢臣が輩出している。


 日本人ほど国家社会を信頼して生きている国民は無い。日本以外のどの国民でも、いざというときに持って逃げる貴金属、宝石の類 は持っている。日本人のように有り金を全部郵便局に預けて安心している国民などはない。


 明治百年のときに、老人たちに何が一番のショックだったかと訊いたのに対して、異口同音に二・二六事件だと答えていた。その間 日清,日露の大戦争があり、広島の原爆があり、敗戦と占領もあった。しかし、すべての事件において、国民は政府と一体になって、 政府を信頼して生きてきた。それが二・ニ六事件では、政府がクーデターで倒される危機に直面したので、国民が誰に頼って良いのか 分らなくなったのである。  


 また裏から言えば、国民はそれほどに政府に信頼して生きているのである。  


 最後に日本の皇室の国事に対する御精勤ぶりにはただただ頭が下がる。また、両陛下の御製の中に顕われている常に国、民を思う御 心には感動する。  


 そして何よりも私が驚嘆するのは、陛下にお仕えする宮内庁、警察の下々までが、それを当然と考えていることである。こんな皇室 、王族が、他に、世界にあり得るだろうか。  千何百年の歴史で、他の王朝のどこにも現れる佞臣、奸臣の類はほとんど無い。


 以上、私のまだ浅い日本史の勉強で、不思議に思うことを未整理のまま書いた。まだまだこれからも日本人の特質を知る勉強を続け ようと思っている。

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