【正論】 2012年6月6日
薄煕来事件は、中国内政に、日中関係に、そして、米国の対中政策にも、表面に表れた以上の深い影響を及ぼしている。
それは、この秋の中国共産党の権力継承の障害となるような事件ではないかもしれない。そういう表面的なことは、中国共産党がビシッと抑えて、影響を表に出さないことは可能であろうと思う。
<<薄煕来事件で党の権威失墜>>
問題は、この事件が中国共産党一党支配の権威に与えた強烈なボディブロウである。
事件の実態は私にはわからない。漏れ伝わる情報しかないが、中国共産党幹部による大規模な収賄、蓄財、個人的資産の海外への不法移転、それによる高級幹部子弟の海外遊学、指導部の男女関係の放恣(ほうし)、殺人も含むマフィアもどきの権力の乱用などがインターネットで全世界を駆け巡っている。
権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗するというのは英歴史家、アクトン卿の言葉であるが、20世紀に出現した数多くの絶対権力、たとえば、スターリン時代、ヒトラー、ムソリーニの時代でも、指導部の専恣がこれだけ表に暴露されたことはなかった。
かつて、米外交官、ジョージ・ケナンはかのX論文において、冷戦は、結局は、米国がどのような価値を持つ国家かのテストであり、そのような試練を与え賜(たも)うた神の摂理に感謝すると言った。今回のようなスキャンダルが、共産中国の道徳的権威に深刻な打撃を与えたことは間違いない。
それは、中国外の国際社会との関係、特に、日中関係にとってどういう意味があるのだろうか。
ひとつ、私が相当な自信を以て言えることは、今後、反日デモは政府が許さないであろうということである。
<<反政府行動への転化を懸念>>
それは今度の事件の前からそうなのかもしれない。2005年の小泉純一郎首相の靖国参拝の際、私は反日デモは起きないからご心配なく参拝されたいと言った。
その年の4月に、日本の安保理入り反対の小規模官製デモが、共産党の統制に反して、大規模反日デモに膨れ上がったことから生まれた、中国指導部の危機感を知っていたからである。
かつて、田中角栄首相の東南アジア歴訪に際して、ジャカルタ、バンコクで反日デモがあった。デモ参加学生たちのその後の述懐によれば、通常デモは禁止なのに、反日デモだけは当局が許可する由なので大いにデモをしただけの話だ、あれは、反日デモでなく反政府デモだということであった。
そういえば、05年4月のデモの際、参加者のヘルメットには「愛国無罪」という不思議な文字があった。言わんとするところは、デモは違法行為であると知っているが、これは反日デモだから許してもらえるという意味である。つまり反日にかこつけて、日頃の欲求不満を発散させようということである。だから、当局がその後のデモは厳禁したのである。
私の判断では、今回の薄煕来事件以後、もう当局は反日デモは許さないと思う。反日といっても、それが何時、反政府デモに変貌するか分からないからである。それが数万人規模に膨れ上がった後では取り締まりも困難になる。それはまさに05年の上海、広州における大デモで中国治安当局が感じた危機感なのであろう。
東京都が尖閣を買うと言っても、北朝鮮のミサイル発射で自衛隊が沖縄に配備されても、中比紛争の最中に巡視船供与の方針を固めても、中国側から表向き反対はなかった。東京の世界ウイグル大会には、日中首脳会談の拒否や外務省レベルの抗議はあったりしたが、中国国民に訴えるような反応はなかった。考えてみれば、盲目の人権活動家、陳光誠氏の渡米も意外に抵抗少なく許している。
<<正しい対中政策進める好機>>
国内が不安定だと、外に危機を求める危険があると言うが、実態は、道徳的権威の低下した中国政府としては対外強硬策を国民に訴える危険を冒せないのである。
従来、尖閣の施設建設など、日本政府の当然の権利を行使するに際し、中国側の意向を慮(おもんばか)る傾向があったが、今後は、反日デモや、その結果の日本の企業の安全は、顧慮する必要はないように思う。正しい政策は正しい政策として淡々として進めてよいと思う。
これは私だけの意見でないこともわかった。米ヘリテージ財団の中国専門家、チェン氏によれば、薄煕来事件以来、腐敗対策といっても地方重視といっても、それがほんとうに民衆のためを思っての改革なのか、権力闘争の手段なのかもわからなくなってしまった。その結果、中国の政策推進能力は麻痺(まひ)し、米国は一息つけるかもしれない。その間、米国はインドやフィリピンなどとの協力を進めることができる、と論じている。
つまり、米国のアジア復帰戦略を推進する絶好の機会だと言っているのである。この際、日本も、粛々と、尖閣の領有権主張強化、集団的自衛権の行使を含む日米同盟の強化などを進めていくのに良い機会だと思う。
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