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中国外交硬直化の背後に垣間見える軍の影

中国の対日外交が、その強硬度を増している。日本国内では「日中関係の悪化」という現象面だけを見て、政府に対処を求める声が強くなっているが、外交である以上、まず、相手の状況、目的そして戦略を冷静に見定めてから判断する必要がある。

 あえてそう主張するには理由がある。最近、中国政府内に、軍もしくはナショナリズムを背景とした強硬派が重大な影響力を有する「軍国的」状態が進んでいると考えられる兆候が見られるからだ。明らかに、それを示唆するような問題のある外交手法を使っている。

 もちろん、だからといって、当方も硬直化する筋合いのものではないが、少なくとも、外交の場においては、相手国がそのような状態にあるということをはっきり認識して、合理的な対応を考える必要がある。


<<反国家分裂法成立の背景>>


 最近の中国は外交のみならず、政治的行動全般が、おかしくなってきている。このことが、一番端的に表れた例が、三月の全国人民代表者会議(全人代)での「反国家分裂法」の成立である。

 この法律の成立の過程を注意深く観察すると、現在の中国の政治状況が反映していることがわかる。私の知る限りでは、反国家分裂法案が通る日まで、全人代の各代表は法案のテキストを手にしておらず、目を通してもいないはずだ。

 この法案作成の動きがあったころから各方面からコメントを求められていた関係で、中国政府の関係者にテキストを要求していたが、今回は断られた。理由は「事前に出すとゴタゴタするから出さないんだ」ということであった。最近は、その説明も変わってきていて、中国政府関係者に聞いた人の話では、「いや、中国でも、法制局が、うるさくて・・・・・・」となってきて、最後には「テキストの内容は何度も言ってある」という説明になってるようだ。

 ところが、全人代の採決の二日前までに、日本には、おそらくアメリカにも根回しの意味で「こういう内容のものを出す」と外交ルートで見せている。アメリカと日本に見せたものを、中国人民の代表にはギリギリまで見せないというのは明らかに変だ。どんな体制でも近代的に政治制度が整備された国では法案というものは、テキストがあって、それを議論して、それから通すものだ。たとえ共産党一党独裁体制であろうと、常識のある立法行政をしている政治家には、できることではない。投票をする直前までテキストを見せないというのは、非常識。そうやって成立した法律というのは中国でも前代未聞だろう。要するに、ドタバタするのはイヤだから見せなかった、というのが本音なのだろう。

 このことから推測すると、反国家分裂法成立の背後には、やはり、軍の「問答無用」という態度があったのだろうと考えざるをえない。

 これからは仮説だが、軍や強硬派が中国の実権を握っているという推論が、一番うまく中国の現状を説明できると思う。

 まず、胡錦濤氏が江沢民氏から、二〇〇三年に党総書記として国家責務を継承したあと、まだ江氏に残っていた軍の実権を最終的に継承する必要があったことに注目すべきだと思う。党の軍事委員会主席を昨年の秋の党大会で継承し、さらに、今度の全人代で国の軍事委員会主席を継承した。反国家分裂法は、軍の側から出された、実権引き継ぎの条件ではないかと考えている。

 そうすると、反国家分裂法に縛られるのは、中国人民ではなく、胡錦濤総書記が第一番ではないか、という気がする。つまり胡錦濤政権は、今後、台湾について、甘い態度を取らないことを法的に義務づけられていることを意味する。

 中国の軍部は江沢民時代を通して甘やかされてきた。軍事予算は、公表ベースだけで毎年一〇パーセント伸び続けてきた。要するに軍の要求する予算をほとんどのんできた結果といえる。将官の数も大幅に増やしてきている。これらのことから、軍の発言力も相当に強くなってきているのだろうと想像できる。

 もっとも、軍が強くなると政情が不安定になるかというと、必ずしもそうとはいえない。歴史的に見ても、さまざまな国が軍政を経験しているし、その時期が安定期であった例はいくらでもある。

 ただ、軍の発言力が強くなると、その国の外交には、はっきり特徴が表れてくる。これは「強硬発言をすれば善、軟弱発言は悪」という表現で言い表せる。たとえば、戦時中の日本などは明らかにその例だ。外交問題で軟弱発言をすれば、身体に危険が及ぶ状況だった。

 今、中国の人と話してると、こちらを向いて話していない、という感じが伝わってくる。明らかに、後ろを向いて話している。そして、後ろで聞いてる人も明らかにいる。

 だから一対一なら、随分と深い話ができるが、他の中国人が聞いているとなると、台湾問題でも、靖国問題でも、中国側の主張をいいたいだけ全部いわなければならなくなるようだ。いわなければ、「軟弱だ」ということになって、あとで非難されることになる。この傾向は明らかに出てきているようだ。

 このことを考えると、五月に中国の呉儀副首相が、小泉首相らとの会談を突然キャンセルして帰国したことも、私はむしろ同情すべき点があると思う。というのは、呉儀副首相がもし、あのまま小泉首相に会うとすると、その直前に、武部勤自民党幹事長らが北京を訪問した際、中国が靖国問題で責め立てたように、小泉首相に対して、靖国問題を強い口調でぶつけ、しかもその後の記者会見で「いったぞ」と表明しなければならなかったろう。

 もし、その時に、何もいわないで、ただ笑って握手したら、国内で「軟弱だ」と責められ、立場を失ってしまったろう。そうなると、呉儀副首相は、小泉首相に激しい言葉をぶつけて礼を失するか、それともドタキャンして礼を失するか、二つの非礼のうち一つを選ばなければならなかったと、私は思う。

 そのあと、中国外交部の報道部長が、呉儀副首相の帰国の理由を、急用だけではなく靖国問題もあり、中国は侵略で被害を被ったのだから外交上の欠礼には当たらない、と言い張ったが、これもそういわなければ、彼は地位が危うくなったであろう。


<<収拾がつかないナショナリズム>>


 これほどまでに中国の外交は硬直化している。

 中国のこの強硬路線は、どのようにして形成されたのだろうか。

 その発端は、一九八九年の天安門事件にある。これは全国的な民主化運動であって、その当時、中国のインテリ層すべての目指すところは、共産党一党独裁の終焉、民主主義だった。そして、その結果は、周知のように大騒乱状態となり、軍による制圧という事態になった。

 趙紫陽総書記は、この責任をかぶる形で失脚し、当時の最高権力者のとう小平氏は、後継に江沢民氏を選んだ。

 江沢民氏は、必ずしもとう小平氏に高く評価されていたわけではなかったようだ。ただ、事態の収拾だけが彼に求められていた役割だった。当然、民主化運動の弾圧と、それに代わる社会的求心力の育成に全力を傾けることになった。改革・開放、市場経済化によって捨て去られた共産主義、天安門事件によって中国の支配層にとって危険な存在であることが明白になった民主主義に代わり、江沢民政権は中国国民に愛国主義を鼓吹した。これが大成功した。

 しかも、江沢民政権の愛国運動は、日本を題材に行われた。日清戦争の一〇〇周年と日本降伏の五〇周年になる一九九五年をピークに、反日運動の形で愛国運動は展開された。その前と後では、反日記念館の中は、展示の内容がまるで違ってしまっているという。

 アメリカの中国民主化に関するさまざまなレポートに、その効果が報告されている。天安門事件から時間がたって、逮捕された民主活動家が少しずつ釈放されるようになってきているが、出てきた人は、みんな非常な挫折感を味わっているという。今、民主主義を中国で主張しても、誰も関心を示さなくなってきている。一方、「台湾を回復して一〇〇年の屈辱を晴らす」という話なら、耳を傾けるという状況になっているという。

 ナショナリズムを煽り続けることで、中国は天安門事件以降の政治状況の不安定化収拾に成功した。ただ、ナショナリズムというものは、一般に国家があって民族があれば、天然、自然に存在するものだ。それだけであれば健全なのだが、それをひとたび政府が主導して煽動すると、その後、収拾するのが難しくなる。

 戦前の日本にも同じような例がある。たとえば満州事変。関東軍の暴走が始まったとき、政府は極力、抑えようと努力した。しかし、石原莞爾の策があまりに成功し、関東軍が次々に勝利を重ねたために、それまでに中国の排日運動に刺激されていた日本国民が、熱狂的に支持を始めてしまった。ナショナリズムに火がついたといっていい。その結果、政府も不拡大方針を通すことができず、結局、事実を追認する結果になった。

 ところが盧溝橋事件になると、首相の近衛文麿が自ら国民のナショナリズムを煽ってしまった。近衛には彼一流の理論があり、軍の発言力が強くなっている中で主導権をとるために、「軍の先手をとる」ことを考えた。つまり軍より政治家のほうがナショナリズムの先を走れば、政治の主導権が握れるという理屈だった。しかしナショナリズムを政府が意図的に煽ると歯止めが利かなくなる。この場合も、ドイツの中国大使トラウトマンの調停など事態の拡大を止めるチャンスはいくらもあったのに、自ら煽った国民の熱狂に流されて、全面戦争に突入してしまった。

 現在の中国もまた、政府が煽動したナショナリズムに中国政府自身が取り込まれてしまっている。ナショナリズムに基づいた強硬論なら善、軟弱論は悪という雰囲気の中で外交をしているから硬直し、動きが取れなくなっている。


<<中国の手法を認識すべきだ>>


 中国側が一方的に強硬路線を行っていて、中国人もそれぞれが保身のために強硬論を言わざるをえないという状況で、さらに、中国の政治が簡単には変質しそうにないというなかで、日本はどのように対応するのが適切なのだろうか。

 一言でいうと、これは相手にしないのが正しい対応といえる。むしろ、このようなことを続けていても行き詰まりになるということを何らかの形で悟らせなければならない。ナショナリズムを利用して乗った攻撃は一種のムードであり、ある期間しか続くものではない。だから、続けていても無駄であることがわかれば持続できなくなる。

 それでは、悟らせるにはどうすればいいのか。そのためには、まず中国側の戦術、手法を十分に理解しておく必要がある。

 そこで、今、持ち上がっている靖国問題を例として分析してみたい。

 中国は、今や対日攻撃を靖国問題に集中している。中国には過去一五年間の愛国教育の実績があるから、国内の世論は常に対日攻撃に利用できる状態にある。そうやって背後を固めた上で、日本に対して、ありとあらゆる方法を使って圧力をかけてきている。はっきり言って、本来使うべきではない手法まで使ってきている。

 たとえば、新幹線の入札の話になると、「歴史認識に対する国民世論の反発がある」と、関係ない問題を持ち出してきた。同じように日本のビジネス全体にも圧力をかけてきている。ビジネスの現場で「いや、商売はうまくいってますけど、政治がどうもね。政治はやっぱり小泉さんが靖国に行ってる以上はダメですね」といった話をすることも、同じ手法の範疇に入る。その結果、日本の経済界に中国側が望む圧力を日本政府にかけさせることに成功している。

 これは経済界だけではない。中国は、政界、学界にも同じように圧力をかけている。確かに中国との関係が停滞すると困る立場の人々が多くいるようだ。

 問題なのは、ナショナリズムを利用して、もしくは、その圧力によってビジネス人に圧力をかけるという、その手法である。戦後の世界経済の繁栄は、自由貿易を妨げる障害を除くという世界的な努力の積み重ねの上に達成されたものである。ビジネスの現場をいじめることで目的を達成しようとすることは、不正であるし、中国も加盟しているWTO(世界貿易機関)の精神にも反する。

 これに対しては、無視する以外ないと思う。無視を続けていると、こういうことを、いくらやっても無駄だということがわかる。わかれば、中国政府も方針を変えざるをえない。そこではじめて、新しい日中関係を作り上げていく可能性が生まれると思う。

 そもそも、靖国問題自体を中国はどれだけ重要と考えているのだろうか。私は実は「どうでもいい問題」と考えていると見ている。靖国神社にA級戦犯が合祀されたのは一九七八年で、それ以降、首相の公式参拝は続いていたが、中国は取り立てて騒いではいなかった。それが八五年の中曽根首相の参拝から、突如、外交問題として非難を始めた。これは、歴史教科書問題と全く同じ構図で、一部の新聞社が中国政府に持ち込んで騒ぎにした結果、起きた事態だ。

 この経緯を見ても、靖国問題は、中国にとって、いささか機会主義的なテーマといってよい。

 しかも、中国が騒いだ結果、靖国問題は日本国内では国論を二分する問題になってしまった。確かに、国内問題としての靖国問題は、日本国民の間で、さまざまな意見、立場が噴出する性質のものだ。そのため圧力をかける題材としては、実に好適といえる。


<<真の焦点は台湾問題>>


 しかし、中国にとって本当の外交課題は台湾問題である。これは、「日清戦争以来、一〇〇年の恥辱を雪ぐ」という現在の愛国主義キャンペーンにとって象徴的な存在であるだけでなく、中国にとって安全保障上の問題でもあることから、軍または強硬派にとって妥協の余地のないテーマであることは疑いない。

 今の靖国問題と同じ手法で、「北京と台北とどちらを選ぶのか」と迫られた場合、日本はどうするつもりなのか。まず直接にビジネスが大きな影響を被る。そして、もし日本が台湾との関係を切るとなると、中国にとって台湾併合に向かっての大きな一歩になる。台湾が中国に併合されるとすると、東アジアのみならず、世界のパワー・バランスを大きく変えることになる。

 これは優れて政治的な問題なのである。靖国参拝を中止したり、代替施設を作ったりして、いま中国が行っている戦略を許すと、日本国民の将来の利益をはなはだしく害す結果になるだろう。

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