by 岡崎久彦 on 2011年9月 2日
【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 国家を玩具にした時代の終わり
2011.9.2 02:55 産経新聞
野田新政権に期待したい。
これで日本政治に立ちこめていた霧が一挙に晴れると期待できるほどそう甘いものでないことは知っている。しかし、あまりにも長く政治の低迷が続いた後でもあり、敢(あ)えて野田新政権の前途に期待できる材料を数えてみたい。
◆反体制リベラルの無礼講挫折
何よりも、民主党が政権奪取以来、その特性の重要な部分である反体制リベラルの主張を出すだけ出し尽くして、無礼講を演じ、そして、そのすべてに挫折して、その教訓を学んだことである。
三党合意による公約の見直しがその最も具体的な例である。
外交面では、鳩山由紀夫政権ができるとすぐに、東アジア共同体の構想を打ち出したが、その当の目的である中国から全く相手にされないまま、話は立ち消えになっている。
もともと東アジア共同体は、中国が、北京のお膝元にASEAN(東南アジア諸国連合)諸国、日本、韓国の元首を招き、会議を牛耳ろうとしたのを、オーストラリア、インドなどを巻き込んで、しかも第1回は中国国外で行うことで換骨奪胎したものである。それを日本が言いだしても中国が乗って来るはずがない。おそらく鳩山前首相はその経緯さえ知らなかったのであろう。
普天間飛行場の移転先を少なくとも県外などと言っていたが、オチは、沖縄の米軍基地が有する抑止力を再認識することであった。そして菅直人政権は日米合意通りの辺野古移転に戻った。
反米、親アジアなどという、最も幼稚な戦後リベラル的発想を試みて、その非現実性について教訓を学んだということである。
◆官僚を使えなかった教訓学ぶ
官僚の使い方を知らなかったことに気付いたということも大きい。官僚に限らず、すべての組織の上に立つ人間は、まず、部下の信望を得て、いざという時は、直ちにそれまでの訓練通りに行動させるのが、古今東西の人使いの鉄則である。特に緊急事態ほど、まずは部下に任せるのが正しい。
日本人は誰も任務をサボろうなどとはしない。そんな時に上から、思い付きで、チョロチョロ小知恵を出すのが一番いけない。政治家の決断は必要であるが、決断の必要は、緊急事態ほど、応接に遑(いとま)ないほど後から後から、下から上がって来る。その都度、果断な決断を下し、その責任を取るのが上に立つ人の任務である。
事件が起きてから有識者の意見を求めるなどは本末転倒である。意見は普段からよく聞き、有事には決断しなければならない。忙しい時に有識者会議など人選して招集するなどは、部下に余計な事務の負担を強いることになる。
その点、今や全て反省されている。民主党政権ができて以来、現在までに国民が被った損害、負担は少なからぬものがあるが、それで教訓を得たというならば、将来の二大政党体制にとってはプラスとなったといえよう。
何より大きいと思うのは世代交代が起きたことである。欧米では1968年世代、つまり学生時代に反戦運動などが猛(たけ)り狂った時代の政治家はもう第一線から去った。民主党でも遂(つい)に全共闘世代は去り、次世代に移りつつある。
野田氏が初の松下政経塾出身ということにも意味がある。伝統から切り離された戦後日本社会が、日本を担う政治家を育てられるだろうかと憂慮した故松下幸之助の問題意識は正しかった。また、その教育課程は、人物の育成、知識の涵養(かんよう)において他の教育機関にはない優れたものを持っている。
批判されたのは、塾の教育の内容の評価というよりも、そんなことで政治家を育てることができるだろうかということであったが、見事に今回の代表選では、5候補のうち2人が松下政経塾出身である。松下幸之助の先見の明を認めてよいと思う。
◆自民も政治空白危機に対処を
この間、自民党も変わってきている。教育三法の改正、国民投票法の制定を行い、集団的自衛権の行使の容認の直前まで実現した安倍晋三首相が病気で退陣した後、戦後レジームからの脱却が挫折してしまったのは、民主党というよりも自民党の責任である。その自民党も、野党でいる間に、党の方針の中に集団的自衛権の行使を認めるなど、腰が据わってきた。
今度の政権に対しても、民主党の評判が戻って次の選挙に影響するのを心配したりするケチな考えでなく、政策協調のオファーがあれば謙虚に受け止めて協力することが望ましい。もう何年も空白が続いているという日本の危機に対処する方が重要である。
少なくとも国家の安全に関する問題では、超党派の合意があってしかるべきである。その時期は熟してきていると思う。
民主党代表選当日の晩の宴会でも帰りのタクシーでも、聞かれたのは「ホッとした。良かったですね」という声ばかりだった。先のことは誰も分からなくても、日本という国を素人の生体実験に供したような鳩山、菅時代がやっと終わったという安堵(あんど)の声である。
(おかざき ひさひこ)
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