【正論】未熟な「二大政党制」の犠牲者 元駐タイ大使・岡崎久彦
2009.3.9
<<政治家の酷使が進む国会>>
中川前財務・金融担当大臣が辞任された。
新年にお目にかかったときは大変お疲れのようすで、俗な表現ではヨレヨレの感じだった。現に「これほど忙しいことはいまだかつてない」と嘆いていられた。
それは無理もない。インド洋での海上自衛隊の給油継続の法案を、参議院の野党が60日間表決しないという想定で臨時国会を年末ギリギリまで延ばした。そして、緊急に必要な経済危機対策法案も参院野党の引き延ばし戦術を計算に入れると臨時国会では日数が足りず、衆議院の本会期も新年早々開会に繰り上げねばならなかった。その異常に短い正月の休暇の間に選挙区に帰らなければならない政治家としては極限まで体を酷使していたと思う。
また1月末からひどい風邪をひいていたらしい。おそらくは、体の芯が疲れ切っていて、多少の抗ヒスタミン剤、少量のアルコールからも影響を受けるぐらい、体の抵抗力が落ちていたのではないかと拝察する。
ここまで政治家を酷使する必要があるのだろうか。給油新法などは、民主党員の多くは賛成である。60日間表決を引き延ばす大義名分などはどこにもない。
拝見していると麻生総理も時々疲れた表情をしていられる。麻生総理も中川前財務相も日本の貴重な人材である。それを次々に潰(つぶ)して日本はどうなるのかと思う。
<<自らの手で民主政を破壊>>
安倍元政権ももったいないことをした。安倍総理は過去の総理ができなかった教育三法の改正、防衛庁の省昇格、国民投票法などを相次いで成立させた。その間、土日もなく、審議の事前勉強に追われ疲労困憊(こんぱい)していられた。しかも、それが終わるが早いか政治家としては全力投球を余儀なくされる参院選を戦った。そしてその後インドなどを歴訪した。それも普通の総理訪問にない内容のある訪問だったが、あの頃はもう一見してヨレヨレだった。 現に倒れられてから2週間は、点滴で生き延びたような重症だった。疲労が持病(静養後特効薬が見つかって完治された由)を再発させたのである。
中川氏の場合とは違って、過労の責任は野党側にはないが、もしあの時外遊をやめて休養されていても、臨時国会は最初のねじれ国会である。総理に体力の消耗を強いるだけが目的のような野党の抵抗の前には、当時の体調ではもたなかったと思う。
今まで二大政党制になじんでいない日本の政治の未熟さが露呈されたといえるが、これほどひどい例は先進民主主義国ではあまりないと思う。
アメリカで言えば、フィリバスター(長広舌を振るって審議の時間切れを狙う戦術)を使える場合は必ずそれを使うと野党が決めていて、出席者は毎晩のように夜更けまでの審議を強いられるような状況と同じである。
そんな非常識なことをしたらアメリカの世論は、非難ごうごうであろう。世論を主導するのはマスコミである。そういう自らの手で民主政治を破壊するような行為は、まずマスコミの良識ある評論によって徹底的に糾弾されるであろう。
<<需要問題は超党派で解決>>
民主党の引き延ばし作戦に日本のマスコミの批判はあっても、形だけである。マスコミも、まだ二大政党制の運用について確固たる見識を持っていないようである。むしろ大勢は、政府側が困っているのを「政局通」が野次(やじ)馬気分で見ていただけである。
それでも今は3分の2で再可決ができるが、それもなくなったらどうするのだ。それを言うと、すぐ、民主党が多数を取るか、政界再編成の話になるが、それでは問題は再び埋没されるだけである。
それは民主政治の運営方法についての精神的怠惰であり、現在の日本の政治家では、重要問題の超党派的運営は不可能とはじめから諦(あきら)めている態度である。要は、妥協による解決という、アングロサクソンに始まった民主政治の神髄をどう実現するかである。
それは、政党が如何(いか)にして党争でなく、国益本位で政治を行うかということである。まして外交安保問題は本来超党派であるべきである。
それは日本人には無理かといえば、そうではない。明治23年の第一議会において、板垣退助は、条約改正を控えて、日本人の議会運用能力を世界に示すため、土佐派を率いて政府案と妥協した。さもなければ、条約改正が後退するだけでなく、永年の自由民権運動によって達成された議会政治が機能麻痺(まひ)して、せっかく作った憲法が停止に至る危険が現実にあったのを、事前に回避したのである。
明治の日本人ができたことが今の日本人にできないはずはないと思う。
(おかざき ひさひこ)
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