【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 災い転じて大改革の福となれば
2011.5.19 03:22 産経新聞
この論考は一種のファンタジーである。今のところ実現する可能性もシナリオも何も見えない。
ただ、一寸先は闇であるという政治現象の大原則だけを頼りに、そして、日本の将来はかくあれかしと思う希望的観測の下に、それが闇でなく光明であることを希求して書かせていただく。
東日本大震災の前の時期、何年間も日本は閉塞(へいそく)状況だった。「失われた20年」が打開される見通しは全く立たず、財政危機とデフレと低成長が続くばかりであり、それに抜本的に対処する政治力を期待できる政治情勢もなかった。
その最中の大震災である。各方面では、「がんばれ日本」の掛け声の下に、この機に、人心一新して日本が立ち直ることを期待する声が上がっている。
大震災は天から降ってきた災害である。これを嘆くと同時に、将来への期待の声が高まっているのは、裏返していえば、震災前の閉塞状況が如何(いか)に酷(ひど)かったかを物語っている。
これからどうなるかは誰も分からない。ただ、ここで歴史の前例として関東大震災の後はどうだったかを振り返ってみたい。
<<関東大震災も短命内閣最中に>>
関東大震災は死者6万人、今回の犠牲者の倍以上である。しかも首都を直撃した震災だった。そしてその前後の政治状況を振り返ってみると、偶然の一致はある。
それは短命内閣が相次いだ中で起こった。1921年に原敬が暗殺され、高橋是清がこれを継いだが、政友会の分裂で、22年に加藤友三郎が総理となっ た。23年の加藤病死のあと、山本権兵衛が関東大震災の最中に後を継いだものの、大逆事件で辞職。24年早々、組閣した清浦奎吾は、閣僚のほとんどが貴族院議員という超保守内閣を作り、これを攻撃した護憲三派の倒閣運動に対して議会を解散したが、総選挙で惨敗して、6月には加藤高明内閣となった。今回の大 震災が小泉純一郎内閣以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と、短命内閣が続く中で起こったことを思い出す。
こうして短命内閣が繰り返されている最中に大震災が起こり、その後1年経(た)たないうちに大正デモクラシーが出現するのである。
この歴史的意義の重大さを理解するためには、大正デモクラシーが日本の歴史に有する重大な意義を再認識しなければならない。
<<花開いた大正デモクラシー>>
大正デモクラシーは偏向史観の二重、三重の犠牲者である。明治以来の薩長史観、皇国史観では、自由民権運動者などは不忠不孝の輩であった。そして、我々 (われわれ)の世代がまだ覚えている軍国主義時代は、それを腐敗堕落した民主主義の時代として、エロ・グロ・ナンセンス(あの程度のリベラルをエロ・グロと呼ぶならば、現在を何と呼べばよいのだろう)と呼び、それが戦後の反ブルジョア左翼思想にそのまま引き継がれ、大正デモクラシーを評価する人々は、オー ルド・リベラリストのレッテルを貼られて攻撃された。
誰よりも責任があるのは、チャールズ・ケーディス(民政局次長)などの無教養な占領当局で あった。ヘンリー・スティムソン、ライシャワー、そしてマッカーサーまで、戦前の日本を知っている人々は、大正デモクラシーへの復帰を占領目的とした。しかし、歴史に無知な左翼リベラル占領官僚は、戦前の日本を悉(ことごと)く軍国主義の暗黒時代と定義し、民主主義は占領当局が与えた恩恵であるという史観 を、厳しい言論統制で押し付け、それが戦後教育を受けた日本人の常識となってしまった。
大正デモクラシーは、明治の初め以来の自由民権運動が営々として築き上げた成果である。それがいったん原敬によって達成された後、藩閥勢力の逆流で、先が見えない閉塞状況となっていたのが、一転して花開いたものである。
新内閣成立早々、幣原喜重郎外相は新平和外交を開花させ、宇垣一成陸相は2個師団削減を断行している。それから政治は8年間の政党花盛り時代を迎える。
もう今生きている人はほとんど誰も覚えていないだろうが、一昨年101歳で亡くなった私の母の世代にとっては、夢のような「古き良き時代」だった。震災から1年経たずに、その前には予想もしなかった新しい明るい時代が開けるのである。
<<いつまでも手を拱いていては>>
あとは白昼夢である。今後1、2年の後に何らかの政治的変動によって、日本の将来に必要な長期的政策を実施できるような政治状況が生まれるかもしれない。
原敬死後の逆流で挫折した政党政治が復活したように、小泉、安倍時代に始まった戦後レジー ムからの脱却が完成されるかもしれない。政争だけが障害である税制改革の実施は当然であろう。20年前の日米摩擦以来放棄されている産業政策も再建されねばならない。世界中で日本だけが何時までも手を拱(こまね)いているわけにも行くまい。そして農業改革こそ、長期的強力な安定政権を必要とする。
白昼夢であろうか。そうだとも思いたくない。
(おかざき ひさひこ)
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