2008年12月 1日
「諸君!」2008年12月号掲載「任せていいのか、小沢一郎に」「まさか本気だったとは……。理解不能の“国連中心主義”」
私の小沢さんに対するコメントはただ一つだけ、外交、安全保障に関する小沢さんの考え方が、私には全く理解できない、の一言に尽きます。 かつて小沢さんが自民党の幹事長になったりして、頭角を現してきたとき、故・金丸信さんが、「小沢に会っておけ」と言って、その場で小沢さんに電話して下さったことがあります。 私は金丸さんとは親しかった。そういうと皆笑いますが、本当です。彼は金権政治家の典型のように言われていますが、立派な人です。当時、政治家がスキャンダルを起こすと、必ず秘書のせいにしたものですが、金丸さんだけは、「悪いのは金丸信」の一言で副総裁を引退されました。また金丸さんは、少なくとも私が直接知っている他の例では、人物を見る目が有ったと思います。 金丸さんは小沢さんに一番期待していたのでしょうね。だから、会え、と言って下さったのだと思います。 ただ、そのときは、私は海外で大使を勤めていて、一時帰朝の際に金丸さんに表敬しただけで、日本滞在の時間も限られて居たので、結局日程が合わなかったように記憶しています。 その後一度だけ、小沢さんとゆっくり対話をする機会がありました。後にも先にも私が小沢さんと会ったのはそのときの一度だけです。 それは確か自自連立で周辺事態法を作ろうとしていたときと記憶します。 私は自由党の議員の誘いで、自由党の全議員が集まる安全保障研究会に講師として招かれました。はっきりは覚えていませんが、日米同盟の重要性についての持論を述べて、周辺事態法の必要を説いたのだと思います。 これに対して、小沢氏は、例の持論の、国連中心主義でなければならないという理論で、反論されたと記憶します。 私はそのときは、それが小沢氏の持論であるということにもはっきりした認識は持たず、まして、それが今日に至る与野党の安保論戦の一つの主題となる大問題であるということにも気づきませんでした。 ただ、いかにも、大学生ぐらいが自分の理屈で考え出せるような、青臭い未熟な議論と思ったので、内心は「そんなのは学生の思いつき程度の議論ですよ」と言いたかったのですが、さすがに遠慮して、「そんなのは、せいぜい役所の課長クラスがする議論で、立派な政治家のなさる議論ではありませんよ」と言ったことははっきり記憶しています。 そうしたらば、小沢さんは、それに対して正面から答えているのか、答えていないのか、よく分からない大演説を延々と述べられました。私は何の議論か、いくら聞いても、よくわからないので、ただ、聞いていましたが、結局時間切れとなって、議論を深める機会もないままお終いになりました。 後で考えると、党首である小沢さんが自説に固執するために、自自連立の合意文書がなかなか出来ないのに困った自由党の幹部が、安全保障研究会という名で、私を含む専門家の話を聞く会を作って小沢さんを翻意させようとしたのですね。 しかし、小沢さんの反応を見て、「これはダメだ」と思って、「では、今日はこのあたりで」と幕を引いたのでしょうね。私は、全くお役に立たなかったわけです。 あの時の大演説は私には全く分からなかった。そして今でも小沢さんの考え方を理解しているとは言えません。
もっと驚くことは、あの議論は、「課長クラス」と言われては引っ込みがつかないので、単に強情を張ったというだけでなく、十年経っても同じようなことを言っていられることです。 その内容は、皆の知っていることなので、ここでは敢えて引用しませんが、昨年の『世界』十一月号に掲載された小沢氏の公開書簡などを読めばわかります。 これは本当に分かりません。日本だけでなく、世界中の国際法学者、憲法学者で、「自分の意見と小沢氏の意見は同じだ」と言える人は一人も居ないと思います。 専門家が誰一人支持しない議論を、素人が一歩も譲らず正しいと言い張っている。こんな例は、ガリレオの地動説ならいざ知らず、政治家の世界では、理解を絶します。 政治的行動はよくわかります。わかりすぎるぐらいわかります。 テロ特措法にあくまでも反対して参議院では表決を引き伸ばし、安倍、福田政権を窮地に陥れようとした政治的計算はわかりますし、今度は、表決を引き伸ばすと、総選挙の時期が遅れて民主党にとって不都合なので、早急に審議に応じようという政治的計算もわかります。ただ、外交、安保問題についての考え方これだけは、私の言えることは、ただ、「わからない」の一語に尽きます。
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