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福田首相退陣 1年間の閉塞状態から脱せよ

by on 2008年9月24日


まずは、福田康夫氏の爽やかな出処進退に敬意を表したい。

 福田内閣の発足当初から、所見を聞かれると、私は常に、福田氏の最大の長所は、氏の性格に謙虚さのあることにあると言ってきた。

 氏は、若いころから、岸信介政権の志を継ぐ人物として保守派の輿望を担っていた父君故福田赳夫氏に比較されて、自らを客観的に見ることを知っている人である。

 かつての官房長官辞任の時もそうだった。権力や地位に恋々としないで、自らの引き時を知っている人である。

 その福田総理自身の言葉からも、こうなった原因は国会のねじれ現象にあることが分かる。前にも指摘したが、これは戦後の占領時代の憲法策定の際の、誰も特に意図しなかった不手際の所産である。

 政府側の議会解散権と議会側の不信任決議案提出権との間のバランスで政治を運営するのが、英国に発した議会政治の常道であるのに、下院とほとんど同じような権力を持ちながら政府が解散権を持たない上院を作ってしまった間違いが、占領終了後半世紀以上を経て、自民党の参院支配が終わって、問題として浮上してきたのである。

 現状においてこの問題を解決する方法は一つしかない。それは国益に関する問題については超党派的合意を達成する仕組みあるいは精神的態度を作ることである。

 アフガニスタンを支援するための海上自衛隊のインド洋派遣(補給活動)は、当面、日本の国益に関する最大の問題である。


<<党利党略で国益が沈む>>


 イラクへの多国籍軍派遣の国連決議も今年末で切れる。現在のアフガン支援は、米国の対テロ戦略に対する唯一の協力である。日本がこれに対する協力を打ち切った場合、米国大統領選の共和党候補マケイン氏の直截的な反応は想像に余りある。

 特に、多くの選択肢についての意見のある中で、日本との関係を重視しようとする民主党候補、オバマ氏の政策にとっても重大な懸念材料となろう。

 次の選挙で勝つことを至上命令としている日本の小沢一郎民主党が、何が何でも政府を困らせて点を稼ごうとするのは分かる。だが、党利党略以上の国益というものを理解できないで、果たして政治家と言えるだろうか。

 福田退陣を受けてできる新内閣は、道理は究極的には通るだろうという信念で、迷いなく自衛隊のインド洋派遣の根拠となる対テロ特措法延長を推進してほしい。

 それ以外にも新内閣に期待することは多々ある。安倍晋三前内閣は「途中で投げ出した」などとマスコミで描写されているが、病気さえなければ投げ出す意図など全くなかった。

 むしろその前の国会で、教育基本法の改正、憲法改正に必要な国民投票法の制定、防衛庁の省への昇格など歴代自民党内閣の数十年間の懸案を一挙に解決して、それを行政面で固めていく仕事が多々残っていて、それを進める予定だった。


<<安倍改革停止を悔やむ>>


 特に、日本の安全保障の重要な論点である集団的自衛権の解釈についての再検討は、予想以上に審議のテンポを早めるよう指示され、四分類の審議は昨年の夏休み中に終わり、9月14日に締めくくりの会議が予定されていたが、安倍総理はその2日前に病気で倒れられた。自民党数十年の懸案解決の一歩手前まで来て、改革が止まってしまったのは悔やんでも余りある。

 そうなった理由は誰も説明していない。ただ、戦後半世紀以上に及ぶ惰性的思考から抜け出そうという安倍総理の勇気に対する消極的抵抗の雰囲気-誰一人理論的に説明する勇気も知性も持ち合わせない雰囲気-が、せっかく始まった改革をサボタージュしてしまったのである。

 児童教育の功労者に授与される博報賞を受賞したある小学校の先生の言葉が忘れられない。「私は子供たちに『美しい国』を作りましょうと言って、励んできた。もう、それが言えないような雰囲気になってしまった。どうしたらいいのでしょう」

 不思議な現象である。占領中の日本を罪悪視する教育、冷戦中の共産圏を利するための日教組教育の残滓(ざんし)が、もはやどこにもそれを理論的に弁護する言論も知性もないままに、公害の雲のように重く日本を覆ってきたのが過去の1年間である。

 新内閣が、あるいは、今回の政変を機として新たに進展する日本の政治が、この暗雲の中に希望の光を射してくれることを望んでやまない。

 (おかざき ひさひこ)

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