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首相の公式参拝に環境整った秋

産経新聞 【正論】 2005年9月29日 掲載


<<政治意図が絡む8月15日>>


 もうそろそろ靖国問題に決着をつけてほしいし、それが可能な時期に来て いると思う。具体的には、十月の靖国神社秋季例大祭に小泉総理に公式参拝 をしていただいて、この問題に決着をつけるのが望ましい。

 私はもともと、八月十五日よりも、例大祭参拝を主張してきた。八月十五 日の参拝そのものが悪いとは言っていない。ただ、その日だと参拝の動機が 複雑になるのである。

 国のための尊い犠牲者の冥福(めいふく)を祈り、祈る方も国を守る決意 を表明して、英霊に安心して眠っていただくという本来の参拝の趣旨を貫く のならばそれで良い。

 しかし戦後史観、占領史観に決着がついていない現在では政治家としては そこまで割り切った発言はできない。三木総理の場合は反戦の誓いをするた めであった。「心ならずも亡くなった方」という小泉総理の発言もそうであ る。それでは英霊の尊い犠牲に感謝したことにならない。

 過去の経緯を遡(さかのぼ)ってみると靖国問題が紛糾した原因は、一つ は三木首相の私的参拝、もう一つは戦後の総決算を呼号した中曽根総理の参 拝であり、いずれも八月十五日である。それぞれ意図するところは正反対で あっても、政治的意図が絡んだ参拝であった。他の総理たちの春秋の例大祭 への粛々たる公式参拝が中国などから問題として取り上げられた例はない。

 それは八月十五日という日が、この前の戦争を象徴するところから来る。 日本の政治家が、それは反戦の誓いのためだと言っても、中国から見れば大 東亜戦争を肯定する行動となり、A級戦犯うんぬんの問題もそこから生じ る。


<<中国の側にも態度の変化>>


 私がこの問題の決着に希望を持つのは、最近の中国の態度に変化が見られ るからである。

 四月のデモ以来日本人の対中感情は悪化し、投資も中国以外に流れる傾向 が出てきた。しかし、私の見るところでは、中国はデモのその日から態度が 変っている。

 デモのすぐ後に反日デモ禁止の党の意向を表明した。そして、その意向に 反して上海、広州のデモが発生して以降は、ほとんどデモに対して戒厳令態 勢と言ってよい。もう中国は反日デモはできなくなっている。それは過去十 五年間の反日教育、愛国主義運動が成功し過ぎたためであり、一旦火をつけ ると全国的運動に発展するのは避け難く、それが反政府運動に発展する危険 があるからである。

 過去の愛国主義運動そのものにも反省が生まれざるを得ないであろう。七 月に再オープンした盧溝橋の記念館から反日のろう人形が姿を消したとい う。九月三日の抗日戦勝六十周年の胡錦濤の演説は、アメリカ、国民党も含 めてかつての対日戦争の同盟者の大同団結を意図したものではあるが、日中 二千年の歴史で悪かったのはほんの短い期間だけだったと、従来日本側が 使ったせりふを使っている。

 もともと靖国問題は、こんな問題を首脳の相互訪問などと結びつけるべき でないのに、そうしてしまった中国外交のfaux(フォー) pas (パ)(誤った一歩)の結果であり、中国側が何とか始末をつけないと収ま らない問題である。

 私はこの論文は中国に向けて書いている。もし、既に八月十五日をやめた 小泉総理が秋の例大祭だけに公式参拝し、この前の戦争に特別に言及するこ とがなければ、中国側はそれを譲歩と考えて、それを明言するかどうかは別 として、もう矛を収めてはどうだろうか。


<<粛々淡々と行う事が肝要>>


 日本側としては、いわゆる親中派の政治家などが、この妥協の橋渡しなど をすると、また問題が複雑になる。小泉総理が歴代総理たちと同じように 粛々淡々と例大祭に公式参拝して、余計なことを言わずに静かに中国側の反 応を待てばよい。中国側としては、現在の国内事情からも、外交姿勢の上か らも、騒ぎを大きくしようという動機はあまりないように思う。

 もう一つ、国際世論が微妙に変化してきた。従来は中国を批判する論説で あっても、同時に、戦争の過去について日本の悔悟を求める戦勝国側として のステレオタイプがあったが、最近は「もういい。日本は十分に謝罪し た。」という論調がチラホラ出てきた。国際世論も、もうこの種の問題を大 きく取り上げる気はないように思う。戦没者一般の慰霊ならば、どこの国で もしていることである。

 総理が靖国参拝をすれば、いままでの行きがかり上、まだ若干の国際的波 紋はあろうが、やがてそれが消え去れば、それが決着と思う。

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