by on 2009年1月28日
<<小泉氏に2つのお願い>>
小泉元総理との私的な会話の内容を引用することをお許し頂きたい。もちろん、引用は私の発言部分だけである。
平成16年(2004)7月の参院選後、9月の内閣改造を控えた夏のころだった。
第2次小泉改造内閣の発足を前にして私は2つのお願いを申し上げた。それは、集団的自衛権の解釈変更と消費税増額については、結果としては何もできないかもしれないが、少なくとも、「この内閣の間はしない」と始めからおっしゃらないでください、ということであった。
内閣発足早々の記者会見や国会の質疑で、重要問題についての総理の意見を求めて、その回答で、その後の内閣の手をしばってしまうのが、マスコミ、野党の常套(じょうとう)手段だからである。
小泉総理は他人の意見などなかなかお聞きにならない方だから、私の意見がどこまで取り入れられたかはわからないが、私が知る限り退任まで、その種の否定的発言は全くされていない。
この2つの問題は共通しているところがある。日本という国の将来を考えると、いずれ、避けて通れない問題であることは、誰もが知っている。しかし、従来の政治の常識ではそれを今言うことは政治的にマイナスであり、この内閣の間はしない、と言って先延ばししておくのが無難であることである。
<<消費税と集団的自衛権>>
小泉総理は発足直前のTV発言では集団的自衛権の解釈変更の必要に触れられた。しかし、その後9・11テロのおかげで、数々の防衛関係立法措置を講じることが優先され、その話は立ち消えとなった。そして次の改造内閣発足に際しては、「この内閣の間では」と、否定的発言となったのである。
そこで、私は最後のチャンスを事前につぶさないように、先のお願いをした次第である。
2つの事案に共通なのは、国際的に他の先進国との比較で、日本だけいかにもヘンだということと、政治家がこれと直面することを避けるために一見格好の良い口実を設けていることである。
日本の消費税率は先進国の中で異常に低い。中谷巌氏の分析によればそれが、日本が今やアメリカに次ぐ格差社会となってしまったことに現れているということになる。
日本の貧困率は他の先進国とあまり変わらないが、所得再配分後、つまり社会保障などを受けた後の数字では、断然高くなっている。他の先進国はちょうど消費税が高い分だけ高負担高福祉政策を行っているわけである。
国家財政のバランスを考えれば、当然この問題に行き当たる。しかし、まずは改革による冗費削減だと逃げをうっていれば格好はつく。
集団的自衛権の問題を避ける通常の口実は、解釈変更など姑息(こそく)なことをしないで、堂々と憲法を改正すべきだということである。
<<塵芥の如き世間の評価>>
そもそも集団的自衛権行使の制限が日本の国益に及ぼす害を認識しているのならば、それを是正する手段が二者択一である必要はない。できるところからしていくのが正しい。そして、憲法改正など簡単にできると誰も思っていないことを条件とするのは、サボタージュ以外の何ものでもない。
麻生総理は最近とかく批判の対象となっているが、そんな世上の評は浮草の如(ごと)きものである。私が感心しているのは2点である。1つは3年後の消費税増額を決して譲らないことである。これは日本の財政経済について確固たる見識があって初めてできることである。
かつて消費税導入で内閣支持が急落し、秘書の自殺もあって引退直前という時期に訪タイした竹下総理が、消費税だけは後世に残せる業績だと思うと淡々と私に語られた。その国を思う見識に深い感銘を受けたことを思いだす。
もう1つは、麻生総理が「集団的自衛権の解釈は変えるべきだと、ずっと同じことを言ってきた」と平然と発言されたことである。
この発言を今後とも続けていただきたい。
風評によれば内閣法制局は総理がこの発言を繰り返されないよう根回しをしていると言う。内閣法制局は政府の諮問に答えるのが任務であり、自説を維持するために政府部内の根回しをするが如きは分際を心得ない行為である。風評が真実かどうかは確かめる必要はあるが、もし本当ならば、糾弾されるべきである。
麻生内閣は、この2つについて、不退転の見識を示し続けるだけで、安易な口先の妥協を許さず信念を貫いた総理としての評価に値する。
要は国益であり、世上の毀誉褒貶(きよほうへん)などは塵芥(じんかい)の如きものと考えるべきである。(おかざき ひさひこ)
正論:1月22日(木)掲載
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