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6か国協議 枠組みの偏重懸念 岡崎久彦

2007年9月2日  ◇外交評論家


 私は今後の6か国協議の前途については、その成功を祈りつつも、全く楽観していない。現在進行中の初期段階は、クリントン米前政権時代の、より正確に言えば、濃縮ウラン疑惑が生じる前の、ステイタス・クォー・アンティ(かつての状態)に、戻ったということである。つまり、細かい点では若干の違いはあっても、大筋は、ともに、北朝鮮は、寧辺の核施設の活動を停止して国際原子力機関(IAEA)の査察を許す代わりに、種々の経済的利益を享受するということである。

 この状態を中断させる原因となったウラン濃縮については、北朝鮮は、初期段階ではまだ解明する義務はない。それならば、北朝鮮は、4年間の中断期間に相当量のプルトニウムを既に抽出しているし、施設も老朽化しているというから、これを受け入れるのにさほど痛痒(つうよう)を感じないはずである。現に2月13日の合意では北朝鮮はこれを受け入れている。それだけのことを実施させるのに、60日を大幅に超える時日とマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)の封鎖資金の解除という初めの合意にない代償を必要とした事だけでも、前途多難を思わせる。

 既に合意してある初期段階の実施だけで、北が喉(のど)から手が出るほど欲しい譲歩をしてしまって、今後、最終目的である核放棄に向かわせる、どういうレバレッジ(梃子(てこ))があるのか疑問である。平和条約、テロ国家指定解除ぐらいでは、せいぜい施設の無力化、濃縮ウランの疑念解明までではないだろうか。核廃絶が不可能とすると、濃縮ウラン疑惑の解明は逆に北朝鮮の核保有国宣言となる恐れもある。

 核廃絶の見通しもなく、ただ「一歩前進」などと言っていると、日本にとって最悪のシナリオは北朝鮮が老朽施設の無力化だけをして、後は事実上核保有国を宣言し、その代償に、拉致事件の解明を待たずに、テロ国家指定解除を手に入れるということである。これは、日米同盟にとって危機的なシナリオであることを、米国はよく理解すべきである。

 ただ、私が6か国協議について心配しているのはそれだけではない。心配なのはこの交渉の過程で、その具体的成果よりも協議の枠組みがひとり歩きしていることである。米国務省は、6か国協議をヨーロッパの全欧安保協力機構(OSCE)のような常設機関とすることを希望しているらしい。私もつとにこれに気づいていた。それは、米国要人の発言の中に時々、6か国協議の存在そのものを、不自然に重視する表現があったからである。

 シンガポール・シャングリラ会議における6月2日のゲーツ国防長官の演説は、「昨年10月の北朝鮮の核実験の時に、6か国協議は、他の国からより危険な反作用が起こるのを防いだ」と言っている。ヒル国務次官補は2月の議会証言で同様なことを言った上で、「6か国協議がこの地域の問題を解決するメカニズムを持っているという安心感を与えている」と言っている。

 

◆まず日米同盟 次に「多国間」

 

 現地の事情に特に詳しくないアメリカ人がこれを読めば、6か国協議があるお陰で日本がもっと過激な反応を示すこと、とくに核武装に走るのを予防した、と解するのが自然なような表現となっている。実際は、日本に安心感を与えていたのは、日米同盟の信頼関係であり、6か国協議ではなかった。

 こういう状況の中で日本はどうすればよいのであろうか。ここで必要なのは、外交技術的対処方法ではないのであろう。大局的、戦略的な考え方の整理が必要なのである。多数国間協議そのものが有益、あるいは少なくとも無害なものであることは何人も否定できない。問題は、それが国家間のバランス・オブ・パワーの基礎である、同盟関係の基礎を揺るがさなければよいのである。

 日本には苦い経験がある。第1次大戦後のウィルソン主義の一つの主題は、2国間軍事同盟は戦争の抑止よりもむしろ戦争の原因となると認識して、同盟の意義を否定して、国際連盟中心の国際協調をもってこれに代えることにあった。米国は、英国と日本に対して日英同盟の廃棄を迫り、結局日英はこれに順応した。これに代わって日本が与えられたものは、太平洋における日米英仏の4か国協議体制であり、歴史の示すところでは、この条約はどの参加国の安全にも、戦争の防止にも何の役にも立たなかった。

 同盟否定論の犠牲者は日本だけではなかった。ドイツ再興の脅威を必至と知っていたフランスは、米英、少なくともイギリスとの同盟を望んでいたが、与えられたのは仏、英、独、伊などのロカルノ条約であり、これまた欧州の平和に何の役にも立たなかった。

 平和はバランス・オブ・パワーの上に立ち、それを支えているのは軍事同盟である。もし、日英同盟が持続され、フランスの安全が米英で保障されていれば、第2次大戦が避けられた可能性は大きい。同盟を失った第1次大戦後の世界は、モンロー主義を持つ米国と英帝国を持つ英国以外は、誰も安全を保障されない、弱肉強食のジャングルとなってしまった。

 日本の場合は、日英同盟の廃棄は、1930年代において、国粋主義的ナショナリズムが主導し、陸軍が支持する自主独立路線と、天皇、重臣、海軍の親英米路線との間のバランスを崩す決定的な要因となった。

 もう一つ重要なことは、米国は現在イラクと対テロ戦争に没頭して、しばしこれに注意を払う余裕がないが、21世紀の主要課題は中国の勃興(ぼっこう)だという事実である。中国が平和主義的大国になるか、軍事的脅威となるか、それは今から誰も予見できないが、この二つの可能性は、今後の情勢の変転の中で、中国内部の事情によって、短い期間にどちらにでも変わり得るものである。

 同盟は、どんな遠い可能性であっても、国の安全に備えるためのものである。戦争の見通しなど現在ほとんどない欧州でも、東欧諸国などはその安全保障の基本を北大西洋条約機構(NATO)に置いている。まして半々の可能性―私は中国が脅威となる可能性のほうが大きいと思っている―があれば、それに備えるのは当然のことである。そして、東アジアのバランス・オブ・パワーは、究極的には、日米同盟と中国の力のバランスの上に立っていることを忘れるべきでない。

 つまり、潜在的に中国を意識した日米同盟の重要性さえ決して忘れなければよい。確固たる同盟にプラスしてより幅の広い協議機構を作る事自体はなんら問題はない。現に欧州ではNATOとOSCEが並存している。

 ただ、あまりに屋上屋を架すと、要人の日程が込み過ぎてしまう弊害はある。今でさえ、ライス国務長官はARF(ASEAN地域フォーラム)の閣僚会合に欠席し、ブッシュ大統領はASEAN創立40周年に出席できず、東アジア軽視の批判を受けている。特にアメリカはせっかく自らの強い意思でアジア太平洋経済協力会議(APEC)を作ったのであるから、これの強化の方に力を入れるべきである。

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