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陸奥宗光シンポジウム 基調講演
2013年1月 8日 ■極めて近代的な人間だった 戦前の日本の歴史観を支配していたのは薩長史観です。封建時代で真っ暗だったのを薩長が明治維新をして、世の中をいっぺんに明るくしたという史観。それが戦争中は皇国史観になり、戦争に負けて、米国の占領史観に変わった。占領史観は、日本...
戦後の外務省に小村寿太郎なき無念
2011年9月7日 愛国主義とは何だろう? こんな問いかけに対する答えは、戦前の日本なら自明のことであった。そして、恐らくは、現在の日本を除くすべての国民国家にとって自明のことであろう。 しかし、戦後、日本を国家として再び立ち上がれなくさせようとした初期占領政策と、アメリカ...
陸奥宗光―日本にデモクラシーを遺した孤高独歩・独立独往のひと
2010年12月1日 明治の時代を担ったリーダーの一人としての陸奥宗光、という題を与えられると、そもそも政治におけるリーダーとは何であろうかという問題に改めて直面させられる。 と言うのは、陸奥は本来、大衆のリーダーというよりも、孤高独歩の人だからである。...
伊藤博文と李完用
2010年10月1日 <<やらずもがなの菅談話>> 菅内閣が日韓併合百年を記念して談話を発表した。 私はもともと、やらずもがなのこと、と思っていた。そして、他方、寝た子を起こして、また、しばらく、対韓、対中外交で面倒なことになる以外は大したことにもなるまい、と思っていた。...
小村寿太郎の“功罪”とは
2009年12月1日 小村寿太郎ほど、一見、その功罪がはっきり論じられる政治家、外交官も少ない。 日露戦争で、地上戦を決した遼陽の会戦ではロシア側23万人に対して日本側13万、奉天の大会戦では、ロシア側32万、砲1200門に対して、日本側があるだけ集めて25万、砲990門で...
真珠湾への道 日米開戦65年(2)
【正論】真珠湾への道 日米開戦65年(2)元駐タイ大使・岡崎久彦 2006年12月02日 産経新聞 東京朝刊 掲載 岡崎久彦 ■非凡な2人が切った片道切符 <<引き返す機会>> どうしてああいう戦争になってしまったのだろうか。何時から引き返せなくなったのか、この問題は繰り返...
小村寿太郎
【代々木】 2005年秋号(9月1日発刊)掲載 ■ 明治の男 小村寿太郎には虚像と実像がある。戦後人口に膾灸した虚像は日本の戦後平和主義が生んだものである。すなわち戦争継続を要求する世論に敢然と抗して、ポーツマス条約を結び、日露の平和を達成したという虚像である。...
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