by 岡崎久彦 on 2013年12月 2日
安倍晋三内閣による戦後レジーム脱却の一つとして、道徳教育が論じられている。戦後教育のどこが戦前と違うのだろうか。私自身は最後の旧制高校生で大学も途中から海外に行ったので、偏向教育の実感が殆(ほとん)どない最後の世代である。今でも戦後教育世代に接するごとに違和感を禁じ得ない。
<<声を大にした非難に違和感>>
戦後教育の淵源は知っている。まずは米国の占領初期政策だ。あれほどの大戦を戦い抜いた日本人から未来永劫(えいごう)、精神的な戦闘能力を奪おうと、日本の歴史や伝統を徹底的に否定しようとした。
この政策は、冷戦が始まり最大の脅威が共産圏となるともう不要となった。その後、教育、出版、新聞労組による左翼偏向路線がそれを引き継いだ。共産側が日本を取り易(やす)くしておくには日本の潜在的戦闘能力、特に歴史と伝統を否定し精神的能力を完全に奪っておく必要があったからである。
ただ、戦後教育世代に違和感を持つのはそのためだけではない。最近、戦後世代の評論家と対談した。考え方は私と同じで、人格識見とも非難の余地のない人であったが、一つだけ違和感を抱いたのは歴史上の人物、業績に触れる際に声を大にしてその人格、政策の欠点を批判する点であった。
戦後教育のどこかで、殊更に政治、社会の非を鳴らし、人物の欠点を糾弾しなければならないように教えているのではないか。
3・11後でも市井の人が「これは天災ですか、人災ですか?」とジャーナリズムの口移しのようなことを聞いてくる。天災に際し、政府の施策に何か咎(とが)めるべきものがあったのではないか真っ先に問う精神的態度があるようだ。
戦前教育ではほとんどなかったことで、他を咎めず自らを咎めるのが戦前教育、日本の伝統教育の基本ではなかったかと思う。
<<原が示した対中外交姿勢>>
己を責めて他を責めずとは、日本政治外交史上最高のリベラル政治家ともいうべき幣原喜重郎が対中外交に使った言葉である。
日本は幕末以来、不平等条約に苦しんだ。陸奥宗光外相が条約改正交渉に成功し、5年後に治外法権を廃止、17年後に関税自主権を完全に回復した。それに明治時代のほぼ全期間を要している。
大正の終わりごろ、幣原外相の時、今度は中国が不平等条約改正を主張した。幣原は終始、中国側の主張を支持して英米代表を説得し、国際会議開催などのイニシアチブを取ったりした。会議が開かれた時の北京市民は「100%」日本全権団に好意を示し、上海など各都市でも親日の空気が盛り上がった。列国の間では、日本が抜け掛けをして対支協調を破っているとの批判もあったという。
幣原は不平等条約撤廃のため中国の立場に立って奮闘したが、他面、中国側には自制と努力を要望している。「日本は不平等条約の辛酸を嘗(な)めたが、その撤廃を図るに当たっては、列国を責めるよりもまず己を責めた。打倒帝国主義などと叫ばずして、まず、静かに国内政治の革新に全力を挙げた。そのための先人たちの苦労は容易ならざるものがあったが、国内の近代化が達成されると、列国は快く対等条約に同意した」と。
確かに、日本は西欧先進国並みの刑法、民法などを整備し、外国人が不当な裁判を受けないようにした。憲法を制定して国会を開設した後、明治政府は自由民権派の猛攻に苦しみ、憲法施行は時期尚早だったとの批判さえあった。それを凌(しの)いで憲政を運用したのも一つには条約改正を目前にして、日本が憲政を実行できる先進国であることを示すためであった。
<<平和に平等の地位得た日本>>
まだ日清戦争の前である。日本は日清日露の戦勝国として国際社会で平等を勝ち得たのではない。その前に、平和的に文明国としての地位を認めてもらった。後の中国のように帝国主義反対デモなどをせず、自ら改革し白人絶対優位の世界で文明国たることを示し、平等の地位を達成したのだ。
記憶にある戦前教育では、政府や社会の非を論(あげつら)うことを奨励するような教えはなかった。戦後の教科書のどこに書いてあるか不明だが、戦後教育を受けた人々にそんな傾向があるのは否めない。
それを直す方法こそが、現在論じられている道徳教育の課題であろう。私は、単純に戦前の偉人教育を復活すれば良いと思う。
偉人伝は、対象が偉いという前提で教えるから、真っ先に非難、糾弾が出てきようがない。教わる方は偉人に比べて自らの至らなさを省みるから、人を咎めず自らを咎める教育となる。その意味で育鵬社の『初めての道徳教科書』はいい線を行っていると思う。
大災害で被災者がテレビカメラの前で大仰に不幸を訴えるのは世界共通だが、東日本大震災ではそんな映像はなかった。トモダチ作戦で現地入りした米軍は被災者の礼儀正しい応対に、これが真の文明国家だと賛嘆したという。
事ごとに他を咎めるようになって失われた伝統的美徳を取り戻すことはまさに、戦後レジーム脱却の大テーマの一つであろう。
(おかざき ひさひこ)