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知られざる多国間協議の陥穽

2013年7月31日

 

5月の訪米の際、朴槿恵韓国大統領は米議会で次のように演説した。

「北東アジアには平和と協力の機構を建設すべきである。悲しむべきことに、この地域の経済は相互の連携を深めているが、歴史から発する意見の相違は広がりつつある。過去に盲目な人は未来を見ることができないという。昨日起こったことを正直に認めない場合は明日はない。アジアは私が名付けたアジア・パラドックスに悩んでいる。それは経済相互依存の増大と政治安全保障協力との関係が断たれていることである。ここで私は北東アジアにおける平和と協力のイニシアティヴを取る。北東アジアに多国間対話の制度を設けることを遅らせるわけにはいかない」2013年7月31日

 

6カ国で歴史問題話しても

 

そして、環境や災害救助などの易しい問題から始めて信頼関係を築き、その後、協力の範囲を広げればよいと言っている。

そして、それは米韓同盟に深く根ざしていなければならない、と付け加えている。

実は、6月の訪中に際しての清華大学での講演でも、ほとんど同趣旨を演説している。

一見無害な演説に見えるが、私はその中に、極めて危険な要素が含まれていると思う。

同じような考え方は近年では、ブッシュ前米共和党政権末期の6カ国協議の拡大提案(アイデアだけで文書による公式提案となったことはない)にもあった。6カ国協議は北朝鮮の核開発阻止のため、日米中露、南北朝鮮のアジア局長クラスが参加して、中国を議長として北京で開催される会議である。それを、外相会議に格上げして、北東アジア安保会議にしようというアイデアである。

理由づけは同じく、北東アジアにはまだ戦争の傷痕が残っていて、欧州のような安保協力組織がないからということであった。

とんでもない、と私は思った。南北朝鮮、中国、ロシアの集まる会で、慰安婦問題や靖国問題などを議論して建設的なものが出るはずはない。幸い、この案は、共和党がその秋の大統領選で負けたので立ち消えとなった。

 

日英同盟破棄の失敗に学べそもそも歴史は、多国間協議機構の陥穽(かんせい)の例に満ちている。

私は従来、この前の戦争に至った原因をただ1つ挙げろといわれれば、日英同盟の廃棄であると言ってきた。昭和天皇も、その重臣も、海軍も親英米派であったから、同盟が続いていれば、どんなことがあっても、まず兄貴分の英国と相談してからということで、英米路線からはずれることはなかったからである。「英米と共に采配の柄を握っていれば良い」という西園寺老公の意見が通ったであろう。

たしかに、満州事変は軍の独走であり、事前には止められなかった。しかし、日英同盟があれば、事実上満州における日本の支配的地位を認めるというリットン報告書の線で収拾することに、昭和天皇も重臣も合意されたと思う。現にコミンテルンは、リットン報告書を帝国主義間の妥協として批判していたように記憶する。

日英同盟を廃棄して、日英米仏4カ国協議条約に代えたのが致命的誤りであった。キッシンジャーの『外交』は、欧州中心の著作であるが、珍しく4カ国条約については詳しく記述し、「遵守(じゅんしゅ)されなくても如何(いか)なる結果ももたらさない条約」と酷評している。

ただ、それは、それに署名した幣原喜重郎だけの罪ではない。もう同盟など古い、友好協議条約で行こうと言うのは、世界の潮流であった。同じ頃できた、英仏独伊などのロカルノ条約も同じであり、大戦勃発を妨げる如何なる力も持たなかった。

 

同盟と協議の正しい使い分け今は忘れ去られているが、冷戦が終わったとき、日米安保条約を廃棄して、日米中露の協議条約に代えるという提案が米国の有識者からなされたが、私はその時、猛烈に反対した記憶がある。

たしかに欧州では、冷戦中のいわゆるデタント時代にできた欧州安全保障協力機構があり、それは冷戦中は東西の対話の場となり、冷戦後も維持されている。

ただ、それに対する英仏独などの西側主要メンバーの立場は極めて明確であり、NATO(北大西洋条約機構)同盟が最優先であって、付随的に東西対話の場として使っていた。

それが同盟と協議条約の正しい使い分けである。

韓国が北東アジア協議機構を推進したいのならば、まず、中国の軍事的脅威の増大に対する日米韓の協力態勢の確立が先である。日韓関係強化にはまだまだすることがいくらでもある。せっかく合意した情報保護協定の署名もしない状況で、協議条約などに浮かれていては危険極まりない。

幸いこの提案は、米中いずれででも反響を呼んでいないようである。ただ、米国でも一度は浮かんだ提案であり、日本としては、今後とも早期にその危険を指摘するよう心がけるべきであろう。

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