by 岡崎久彦 on 2012年7月 4日
【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 野田氏よ、今後も「大事」をなせ
外国紙の日本政局論評は往々にして半可通や紋切り型の民主主義説教が多いが、英誌エコノミストが最近こんな分析をしている。
<<「大連立作動」と英誌分析>>
「野田は、強力な官僚組織と、そして参議院を支配している自民党に協力を求めている。…すなわち、識者たちが多年求めていたが、選挙では実現しなかった大連立が作動しているのである」
鳩山由紀夫、菅直人両政権のころ、私は何度も通りがかりの見知らぬ人から、「日本は一体どうなるのでしょうか?」と声をかけられた。それほどに国民の不安感は強かった。そのころから、保守回帰、保守合同の声が聞かれた。つまり、自民、民主両党の心ある人による保守連立政権が論じられたのであるが、それをこのように明確に指摘した論文は、日本メディアでは寡聞にして目にしたことはない。
民主党の野田佳彦首相と自民党との協力を保守連合と呼ぶのが、正確かどうかは分からない。その難しさは反対側を何と呼ぶか考えてみれば分かる。革新か、左翼か、リベラルであろうが、鳩山、菅、小沢一郎(民主党元代表)の3氏にどれを当てはめてもピンと来ない。
保守回帰と言うと、自民党回帰に聞こえるという抵抗もあろう。他方、保守回帰には、自民党内の真正保守でない分子を除くという意味も含まれている。
私は、体制派と反体制派というのがかなり正確な定義ではないかと思っている。
現在の日本において体制とは何かといえば、外交安全保障面では、議論の余地なく、日米安保体制である。在日米軍を含む日米安保体制で、日本の安全と東アジアの平和と安定を守ることである。米国を除外した東アジア共同体を主張したり、普天間飛行場を県外に、と言ったりするのは反体制的発想である。
国内政策はより微妙だが、自民党時代、あるいは明治以来の近代化を築いてきた政、財、官の協力態勢が伝統的体制といえる。
<<「鳩菅」の政治主導破れたり>>
これに対し鳩山、菅両政権は政治主導を唱えた。欧米先進国で政治主導が機能しているのは米国だけであるが、そこでは、連邦議員が立法の能力を有する大きな専門スタッフを擁し、連邦政府の政治任用職はざっと3500を数える。日本のように、国会議員の政策秘書が1人、それも多くは選挙区用といわれ、政治任用は権限も責任も少ない副大臣など100人足らずというのでは、政治主導を強行するだけで行政機能が麻痺(まひ)し停滞するのは目に見えている。
鳩山、菅内閣に対する国民の不安感は、今までの日本の体制がまさに崩れんとしていると感じたことにあった。筆者は野田政権発足以来、野田首相がこの国民の不安を払拭するのを期待してきたが、実績は期待を裏切っていない。
昨年のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加の決定、年末の武器輸出三原則緩和、今度の消費税増税と、政策の遂行にブレが全くない。こうも整々と政策を実行した内閣は、教育三法を改正し、国民投票法を制定し、防衛庁の省昇格を決めた安倍晋三自民党政権以来初めてである。
<<残るはTPPと集団的自衛権>>
残るはTPPの肉付けと集団的自衛権だ。TPPは日本にとって一長一短ある制度だが、政治は決断である。決断した上で長を伸ばし短を抑えるしかない。
最大の害は決断しないことにある。過去20年の日本経済の停滞のままズルズル地盤沈下が続くのを放置するということだ。TPP参加はそれに伴う長期的展望の下、農業・産業政策に取り組む勇気を持つということである。
日本は戦後、通産省主導の産業政策の下に高度成長を遂げてきたが、1990年代初めの日米経済摩擦以後、産業政策を放棄してしまった。
その間、韓国、中国はもとより米国も産業政策を推進している。日本が置いていかれたのは当然である。再び練達の通産省(現経産省)OBや、開明的な農水官僚の智恵と実務経験を活用して、日本の産業の将来に道筋をつけることこそ、TPP参加の本来の目的である。
集団的自衛権は、日本にとって必要不可欠な日米同盟を、米国にとっても必要不可欠とさせる最善の手段である。
平成19年の安倍政権時、5回の会議で、集団的自衛権の総論と4つの問題点を整理し、最終会議を9月14日に設定しながら、安倍氏が12日に病で倒れた痛恨の経緯がある。最終報告を受けた後継の福田康夫政権は推進する意欲がなく、手つかずになってきた。主要な論点について、識者、専門家間ではもはや異論はほとんどなく、首相の決断を待つばかりとなっている。
野田内閣はここまでの成果を挙げてきたのだから、今後は世上の毀誉褒貶(きよほうへん)、政局、選挙への影響などは、お国のためには大事の前の小事と観念され、残る大事の達成に邁進(まいしん)していただきたい。
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